大阪地方裁判所 昭和39年(ワ)932号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一、原告は曾根崎交通株式会社に勤務する自動車運転手であるが、昭和三八年一一月二七日午後七時頃、大阪市西淀川区花川北之町一番地先交叉点附近において停車したこと、被告大阪府西淀川警察署所属巡査田伏俊典、福井正信両巡査が原告を逮捕し西淀川署に連行したことは当事者間に争いがない。
二、原告は田伏巡査が逮捕に先立つて原告に暴言を吐き、暴行をなし、かつ違法に逮捕したと主張し、被告はこれを争うので判断する。
<証拠>に弁論の全趣旨を綜合すると、田伏、福井両巡査の原告逮捕当時の状況は、次のとおりであつたことが認められる。
原告はこの日女客を乗せた自動車を運転して午後七時頃、花川北之町一番地先交叉点(西淀川署花川巡査派出所前)に差しかかつた際、右乗客に下車のため停車を求められ、車が交叉点前の横断歩道に半分位かかつたところで停車して乗客は下車した。原告が乗客に渡す釣銭を計算していて停車が長びいたが、その時交叉点の対向方向の信号は、青になつていたのに原告の車が停止しているため、その後方に続いていた普通貨物自動車の進行ができなくなつた。これを運転していた訴外楠藤社伯は、原告の車の進行を促がすために、警笛を四、五回鳴らした。西淀川署花川巡査派出所でこの警笛を聞いた田伏巡査がこの状態を見て、原告の運転する自動車を前に移動させて交叉点における交通の障害を除去するため原告の車の左側に行き、原告に早く行けという意味を指で合図した。そうすると原告は右合図にしたがつて、交叉点を渡つてから停車した。同巡査は車の右側から、原告に「どうしてあんなところで降ろすのか、あそこは駐停車禁止場所じやないですか」といつた。これに対し原告は、「なんであかんねん、客が降ろせといつたんやないか、停車違反の標識は、どこにあるのか」と答えた。同巡査は「降りてきて下さい。この位のことわからんのか、あほうなことをいいなさんな」と原告にいつて、派出所へ戻りかけた。これを聞いた原告は、車から降りて同巡査のところに追いかけて行き、「あほとはなんや、巡査がそんな言葉を使つていいのか、若僧のくせに」といいながら、ひじで同巡査をこずいてきた。そこで同巡査が「まあ、まあ」と手をだして後に下つたが、その際受け止めた手が、原告の肩に当つた。すると原告は、「巡査が暴力をふるつた」と大声で叫んだ。そして突然原告が車の方向に走りだしたので、同巡査が「逃げるのか」と呼びかけると、原告は「逃げるんと違う、車のキーを切りにいくのがなにが悪いか」といつた。原告は車の外からエンジンを切つたので、同巡査は派出所へはいつた。つづいて原告もはいつてきた。派出所内でも原告は、「あほうとはなんや、制服の巡査がなんていうことをぬかすんや、標識があるなら見せてもらおうじやないか、一銭ポリ公がなまいきだ」といつて、肩で押しながら同巡査につめよつた。同巡査は原告に道交法の本を示して標識が必要でないことを説明しようとしたが、原告は本を下へ押しつけるので、同巡査は頁を開くことができなかつた。派出所内にいた福井正信巡査が、「落ち着いてすわつて話しなさい、そんなに興奮するな」といつて、原告をなだめた。これに対し原告は、「黙つておれ」といつてなおも田伏巡査に顔をすりつけ、右肩と左肩で交互にこずきながら迫つていつた。同巡査は手をあげて制しながら後退していたが、原告が肩で同巡査の胸をついたので、同巡査は後にあつた机の上にひじをついて、後向きに倒れた。福井巡査が後から「やめろ」といつて原告を抱きかかえ、後方に引張り戻した。原告は「なにさらすねん、このあほんだら」と大声で叫びながら、足で机を二、三回けつた。起き上つた田伏巡査は、おとなしくさせるには手錠をかける以外に方法はない、と判断し、原告に後手錠をかけた。原告は、その後も体をゆすつたり、「このあほんだら」といつて叫んだりしていたが、足でけるのはやめた。原告が「痛い」といつたので、同巡査は手錠をゆるめた。それから田伏、福井両巡査は、原告を西淀川署へパトカーで連行した。同派出所の大きさは京間の一間半四方位の大きさで、中に机などが置いてあり、事件当時は、田伏、福井巡査のほかに、重里、岡田、永宗の三巡査がいた。しかし三巡査は派出所内がせまいために、原告を制止することはしなかつた。原告は右逮捕の際に、右前膊挫傷と左下腿擦過傷の傷害を負つた。右前膊挫傷は原告が暴れたため手錠が締つて生じたものである。
以上の事実が認められる。<中略>
三、そこで右認定したところから右逮捕が、現行犯逮捕の要件に合したものであるかどうかについて考えてみる。
原告は停車違反(道交法一二〇条一項五号)の現行犯であつたことは前記認定の事実からあきらかである。田伏巡査に「標識がどこにあるのか」と難くせをつけて根拠のない否認を押しとおし、同巡査が無用の紛糾をさけるために、道交法の本を示して説明しようとしたのをさえぎり、しかも悪態をついて両肩で同巡査をこずき、その結果同巡査は机の上にあおむけに倒れたのである。同巡査としては捜査官として当然になすべき免許証の提示(同法一〇九条)を求める余裕さえなかつた位であつて、任意捜査は到底不可能であつたと認められる。そして、現行犯に対しは、できるだけ早期に捜査を終結し、犯行時の現状をそのまま裁判所に持ちこんで的確な処罰を実現すべきであるという社会的要請が強い(すなわち犯人処罰の要求とともに、それをできるだけ早期に行なえという要求が強い)ために、一定の軽罪の場合、法律が逃亡のおそれがあるだけでは通常逮捕を認めないのに、現行犯逮捕ではこれを許していること、および原告がその後どういう行動に出るか予測できない状態にあつたことなどを考えると、右のような場合に両巡査が原告を現行犯人として逮捕したことは適法かつ相当であつたと認められる。
原告は田伏巡査が暴言、暴行をなしたと主張するが、前記認定の事実によると、同巡査の言葉づかいに多少は妥当性を欠いた点もあるけれども、その言動をもつて、暴言、暴行であるとは到底認められない。
次に、同巡査が原告に後手錠をかけたことも、前記認定の原告の派出所における挙動と、それから判断される興奮の程度などを合せ考えると、やむをえなかつたものと認められる。
四、<証拠>を綜合すると、西淀川署での原告の取調べの状況は、次のように認められる。
原告は同日午後七時三〇分過ぎ頃、西淀川署に連行されたが、同署の廊下で、大声で「手錠をはずせ、ポり公のがき」とどなつていた。秋田為徳捜査主任が原告を部屋に入れて、田伏巡査から説明を聞いたが、原告は「この青二才のポリ公が」といつたりするので、同巡査がゆつくり報告できない状況であつた。しかし原告は、乱暴する程でもなかつたので、秋田主任は原告の手錠をはずさせた。原告ははじめのうちは興奮しており、そのために同主任に対する話も要領をえなかつたが、煙草をすつている間に落ち着いてきて、逮捕までの事情を説明した。手錠をはずした時、原告は手が痛いといつていたので、秋田主任と田伏巡査が手を見ると、赤くなつてすりむいた程度の傷ができていた。原告は手当を求めたが、同主任が「たいしたことはないではないか」というと、原告もそれで納得していた。八時一〇分頃に小山英夫刑事課長が外部から帰つてきて、秋田主任から事件を引きついだ。同課長は原告の弁解を録取したが、原告は「私は停車違反ということで連れてこられたのですが、私としてはそのような覚えはありません」と供述して、弁解録取書(乙七号証)に署名押印することを拒否した。同課長は署長に電話連絡した結果、本件を道交法違反として処理し、取調べがすみ次第釈放するということになつた。しかし同課長の取調べに対し原告は興奮して、それまで秋田主任に認めていた被疑事実を否認し、かえつて、「警察官が暴行してよいのか、自分のやつたことは悪いが、後手に三、四人でたかつてする必要があるのか」と抗議をする有様であつた。当日同署管内において変死事件があり、自動車の余裕がなかつたが、原告が病院に行くことを希望したので、同課長は自動車が空いたら原告を病院に連れて行くことを指示していた。同日午後九時五〇分頃になつて自動車が空いたので、同課長の指示により警ら係の野々上主任、田伏、川村両巡査が、原告を広岡病院に連れて行つて診療を受けさせ、一〇時四〇分頃帰着した。小山課長は自ら原告をなだめる一方、野々上、亀井両主任に原告を落ち着かせるよう指示した。その後相当の時間を要して原告の興奮状態もおさまり、原告は被疑事実を認めて、交通切符で処理されることを希望するようになつた。大阪府警では、派出所で否認した場合には、本著で交通専務員が調書を取る立前になつていたので、両課長は交通係の石本駒吉巡査に原告を取り調べて、調書を取るよう指示した。翌二八日の午前零時頃であつたが、同課長は留置すれば原告に不利になるので、その日のうちになるべく取調べをすますために、右指示をしたものであつた。石本巡査が取調べをはじめたけれども、原告は再び興奮して、同巡査が取調べにとまどう位に大声をはりあげていた。そこで同巡査は、原告をなだめてから取調べることにしたが、やがて原告も落ち着き午前二時頃取調べが終つた。そして同課長の指示で、同巡査が曾根崎交通株式会社に電話して引受人の来るのを待ち、同日午前三時原告は釈放された。
以上の事実が認められる。(中略)
五、そこで、右認定の状況下における原告取調べの当否につき判断する。
原告は西淀川署においても、当初小山課長の取調べに対し、根拠のない否認を押し通そうとしていたものであつて、このような場合、後に被疑事実を認めるにいたつたとしても、後日の供述の変更にそなえて供述を録取し、さらにその際の詳細な取調べによつて、真相がより明らかになることもあるのであるから、原告を交通切符にせずに取り調べたことは、捜査官として当然なすべきことをなしたにすぎないと認められる。そしてこのことは、前記認定の原告の態度から推して、逮捕を継続しなければなしえなかつたものと認められるから、原告を釈放せずに取り調べたことは、適法かつ相当であつたと考えられる。また右取調べが深夜に及んだのも、原告が停車違反の現行犯人でありながら、強弁し、興奮の余り取調べができなかつたためであるから、己むをえないところであつた。
次に原告の負傷治療の点であるが、前記認定のとおり、原告は秋田主任から「たいしたことはないではないか」といわれて納得していたものであり、同主任から事件を引き継いだ小山課長は、原告の希望をいれて、警察署の自動車が空き次第に、原告を病院に連れて行くよう指示していたのであるから、同課長の右措置は、原告の負傷の程度を合せ考えると、適切なものであつたと認められる。
右のとおり、原告を逮捕したまま捜査を続けた西淀川署の担当司法警察職員の措置にも過失はない。
六、以上みてきたとおり、原告の主張はすべて理由がなく、その請求は失当として棄却すべきである。(前田覚郎 木村輝武 白井皓喜)